
救急外来で本物の患者に聞いた「ART研究」
「医師にタトゥーが見えていたら、患者は不安になるのではないか」。この疑問を実際の救急外来で確かめた研究があります。米国ペンシルベニア州の救急外来で行われ、2018年に査読付き医学誌エマージェンシー・メディシン・ジャーナルに発表された研究です[8]。研究チームの発表によると、医師7人が一時的な黒いトライバル柄の上腕タトゥーを条件ごとに装着して診療にあたりました[8]。ピアスについては、男性はフープ状イヤリング、女性は模擬鼻ピアスを装着しました[8]。
条件は、模擬タトゥーのみ、模擬ピアスのみ、その両方、どちらもなし、の4パターンです[8]。医師が自分自身の比較対象も務める設計です[8]。患者は、このアンケートがボディアートの影響を調べるためのものだとは知らされないまま、診療の後に回答しました[8]。
評価項目は能力、プロ意識、思いやり、話しかけやすさ、信頼できるか、頼りになるか、の6項目です[8]。患者は診療を受けた後に、これらを5段階で評価しました[8]。 この研究の大きな特徴は、写真を見せて第一印象を聞くのではなく、実際に診療を受けた後の評価を尋ねた点にあります。現実の医師と患者のやり取りを土台にしたデータだからこそ、結果に重みがあります。
信頼度にも能力評価にも、差は出なかった
結果は明快でした。模擬タトゥーや模擬ピアスの有無によって、6項目のどれにも統計的に意味のある差は検出されませんでした[8]。しかも評価は全体に高く、外見の条件にかかわらず、すべての評価項目で75%を超える患者が最高評価を付けています[8]。原著の要旨は、能力、プロ意識、思いやり、話しかけやすさ、信頼性、頼りがいの各項目で、患者が有意な差を認めなかったと述べています[8]。
もちろん、この研究にも限界はあります。これは観察研究であり、米国の1つの救急外来で行われたものです[8]。地域や診療科、国が変われば結果も変わる可能性があります。 また、測ったのは患者が感じた能力や信頼性であり、医師の医学的な能力や診療の質そのものを客観的に測った研究ではありません。それでも、実際に診療を受けた患者の回答という形で「この場面では差がなかった」と示したデータは、この分野では貴重です。
服装規定を見直した米国の医療システムもある
実際に規定を見直した例があります。米国ペンシルベニア州のガイジンガー・メディカル・センターでは、看護の服装規定が改定され、病院全体の共有ガバナンス評議会による審査を経て2015年8月に承認されました[11]。改定はタトゥーの露出を認める内容ですが、暴力、薬物、性、飲酒、侮辱的または下品な言葉や表現を示すものは除きます[11]。この見直しは、タトゥーだけを理由にしたものではありません。報告によると、同じ健康システムの中に約70種類の服装規定があり、規定のばらつきや服装全般の統一も論点でした[11]。もちろん米国でもすべての医療機関が同じではなく、施設や部署ごとに規定は異なります。これは個別の組織の事例であり、米国の病院全体の傾向を示すものではありません。

軍や他の専門職にも広がる規定の見直し
規定を見直す動きは、医療の外にもあります。米政府監査院は2022年の報告で、陸軍、海兵隊、海軍、空軍、宇宙軍、沿岸警備隊のタトゥー規定を検討しました[12]。報告は、タトゥーが一般化するなか、各軍種の規定が以前より大きさや位置についての制限を緩めてきたと説明しています[12]。その後も見直しは続いています。報告の更新情報によると、空軍・宇宙軍は2024年2月の規定更新で免除に関する手順を整え、沿岸警備隊も2024年5月に規定を更新しました[12]。
警察にも同じ流れがあります。米国のサンフランシスコ警察は2023年8月、警察委員会が同年6月14日に採択した身だしなみ規定の改定を告知しました[13]。告知には、髪形やひげ、爪、装身具に関する変更とともに、規定の範囲内でボディアートとタトゥーを許可すると記載されています[13]。医療、軍、警察という異なる分野で、外見に関する規定を見直した事例が個別に報告されています。ここまでで言えるのは、その範囲にとどまります。
日本の医療現場のデータを、本記事は示せていない
日本に目を戻すと、事情を数字で語ることは難しくなります。参考になるデータとして、東京都の聖路加国際病院で2008年に行われた、医師の服装に関する調査があります[14]。外来患者2,272人が回答し、白衣が最も好まれ、カジュアルな服装が最も好まれませんでした[14]。回答者のおよそ70%は、医師の服装が医師への信頼に影響すると答えています[14]。ただし、これはタトゥーを要因として調べた研究ではありません[14]。 医師のタトゥーそのものについて、実際の診療後に患者の評価を測った日本の査読研究を、本記事は出典として示すことができていません。日本の医療現場でタトゥーがどう扱われているのかを、確かな根拠を持って示すことはできない、というのが正直なところです。
評価を変えるのは、実際に診てもらう経験
米国のデータが示しているのは、次の事実です。1つの救急外来で実際に診療を受けた患者の評価は、医師の模擬タトゥーや模擬ピアスの有無で統計的に意味のある差を示しませんでした[8]。一方で、写真を使った調査では結果が違いました。ジョンソンらは、農村部と都市部に分けた314人に、模擬的な医療提供者の写真を見せる調査を行いました[9]。参加者は、タトゥーのある提供者を、ない提供者より低い確信度で評価しました[9]。入院中の成人患者150人が写真を比較した別の調査でも、タトゥーやピアスのある提供者がより高く評価されることはありませんでした[10]。診療の後に聞くか、写真だけを見て答えるか。調べ方が違えば、結果も違いました。ただし、この違いを診療の経験だけで説明することはできません。研究ごとに対象も方法も異なるからです。
本記事で確認できた範囲では、日本において、タトゥーのある医師への患者評価を測った同種の調査は見当たりません。米国の結果をそのまま日本に当てはめることも、逆に「日本では通用しない」と決めつけることもできないのは、そのためです。
よくある質問
- Q. タトゥーのある医師は患者からの信頼を失いますか?
- 米国の救急外来で患者924人を調べたART研究では、タトゥーやピアスの有無によって、医師への信頼度や能力の評価に統計的な差は出ませんでした。どの条件でも患者の75%以上が最高評価を付けています。
- Q. アメリカの病院はタトゥーを服装規定で禁止していますか?
- 施設ごとに規定は異なります。ただし2018年にはインディアナ州最大の医療システムであるインディアナ大学ヘルスが、職員が見えるタトゥーを隠さず働くことを認めるなど、緩和の動きが報じられています。
- Q. 日本の医師はタトゥーを入れても働けますか?
- 医師のタトゥーを禁じる法律はありません。ただし病院ごとの就業規則や身だしなみ基準で露出を控えるよう求められることが多く、実際には袖で隠して働く選択が現実的とされています。
- Q. 写真で見ると印象が悪くなるという研究もあるのはなぜですか?
- 2012年の米国の調査では、写真だけを見せた場合にタトゥーのある医療者が一部の項目で低く評価される傾向が報告されました。会う前の第一印象と、実際に診療を受けた後の評価は別物だと考えられます。
References
- [8]Marissa Cohen, Donald Jeanmonod, Holly Stankewicz, Keith Habeeb, Matthew Berrios, Rebecca Jeanmonod. An observational study of patients' attitudes to tattoos and piercings on their physicians: the ART study. Emergency Medicine Journal / BMJ, 2018. doi:10.1136/emermed-2017-206887
- [9]Scarlett C. Johnson, Maegan L. M. Doi, Loren G. Yamamoto. Adverse Effects of Tattoos and Piercing on Parent/Patient Confidence in Health Care Providers. Clinical Pediatrics / SAGE Publications, 2016. doi:10.1177/0009922815616889
- [10]Heather V. Westerfield, Amy B. Stafford, Karen Gabel Speroni, Marlon G. Daniel. Patients' perceptions of patient care providers with tattoos and/or body piercings. Journal of Nursing Administration, 2012. doi:10.1097/NNA.0b013e31824809d6
- [11]Margaret Mary West, Debra Wantz Bucher, Patricia A. Campbell, Greta Rosler, Dawn S. Troutman, Crystal Muthler. Contributing to a Quality Patient Experience: Applying Evidence Based Practice to Support Changes in Nursing Dress Code Policies. OJIN: The Online Journal of Issues in Nursing / American Nurses Association, 2016. https://ojin.nursingworld.org/MainMenuCategories/ANAMarketplace/ANAPeriodicals/OJIN/TableofContents/Vol-21-2016/No1-Jan-2016/Quality-Patient-Experience-Nursing-Dress-Code-Policies.html
- [12]U.S. Government Accountability Office. Military Personnel: Armed Forces Should Clarify Tattoo Policies' Waiver Guidance. U.S. Government Accountability Office, 2022. https://www.gao.gov/products/gao-22-105676
- [13]San Francisco Police Department. 23-135 Department General Order 11.08 "Grooming Standards" Update Packet #91. San Francisco Police Department, 2023. https://www.sanfranciscopolice.org/your-sfpd/policies/department-bulletins-notices/23-135
- [14]Yasuhiro Yamada, Osamu Takahashi, Sachiko Ohde, Gautam A. Deshpande, Tsuguya Fukui. Patients' preferences for doctors' attire in Japan. Internal Medicine, 2010. doi:10.2169/internalmedicine.49.3572
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