
EUが禁じたのは「青と緑のすべて」ではありません
2022年1月4日、EUでタトゥーインクに含まれる化学物質への新しい制限が始まりました。REACH規則の附属書XVIIに加わった「エントリー75」という項目です[1]。この項目は、化粧品規則(EC)No 1223/2009の附属書IIに載っている物質を、タトゥー用の混合物に0.00005重量%以上含む場合、市場に出すことも使うことも認めないと定めました[1]。この網にかかった物質のうち、とくに大きな注目を集めたのが、青の顔料PB15:3と緑の顔料PG7です。
よく「EUが青と緑を禁止した」と言われますが、この表現は正確ではありません。制限されたのはPB15:3(CAS 147-14-8)とPG7(CAS 1328-53-6)という特定の2顔料であって、青や緑のすべての顔料が一律に禁じられたわけではないのです[1]。それでもこの2つが騒がれたのには理由があります。EUの評価資料には、PB15:3が「タトゥーインク市場で最良の青色材」と業界から報告されていたことが記されています[4]。つまり、業界の定番中の定番が対象になったのです。

フタロシアニンという顔料の素顔
PB15:3とPG7は、どちらもフタロシアニンと呼ばれる系統の合成顔料です[1]。分子が規則正しく積み重なった結晶構造を持つため、有機溶媒にはほとんど溶けず、水には不溶です[4]。中性でも酸性でもアルカリ性でも安定しているという性質もあります[4]。こうした化学的な安定性は、色がにじみにくく、あせにくいと期待される性質です[4]。ただしこの資料が示すのは化学的な特性であり、実際の皮内使用での臨床的な持続性を証明するものではありません。化粧品の分野でも、PB15:3はタトゥー以外の用途で認められ、PG7も目のまわり以外では使うことができました[1]。
タトゥー用の顔料に求められる条件は、色の鮮やかさだけではありません。EUの背景資料は、色相、鮮やかさ、持続性、施術時の扱いやすさ、傷の治り方への影響、粒子の大きさといった項目を挙げています[4]。そして同じ資料によれば、検討された物質のなかで、業界が「短期から中期では適切な代替物に置き換えられない」と名指ししたのはPB15:3とPG7の2つだけでした[4]。それほど替えのきかない存在だった、ということです。
2015年の依頼から2020年の規則まで
きっかけは2015年3月12日でした。欧州委員会が欧州化学品庁(ECHA)に対し、タトゥー用混合物に含まれる化学物質の健康リスクと、EU全体での対策の必要性を評価するよう求めたのです[1]。ECHAは2016年8月23日に制限を検討する意向を公表し、同年8月31日から10月31日まで広く情報提供を募りました[2]。
2017年10月6日には、ECHAとイタリア、デンマーク、ノルウェーが共同で、制限案の土台となる文書(附属書XVドシエ)を提出します[1,2]。この案への公開協議は2017年12月20日から2018年6月20日まで、半年かけて行われました[2]。リスク評価委員会(RAC)と社会経済分析委員会(SEAC)の意見は2019年6月11日に欧州委員会へ渡り、2020年12月14日、規則(EU)2020/2081として採択されました[1,2]。最初の依頼から一般施行まで、およそ7年がかりの手続きです。
根拠は「危険の証明」ではなく「データの不足」でした
この2顔料が制限されたのは、発がん性が証明されたからではありません。規則の前文とRACの説明が挙げた理由は、むしろ逆でした。有害性と健康リスクについて十分な情報がなく、がんのリスクも、がん以外の有害性も「除外できない」というものです[1,3]。危険だと確認されたのではなく、安全だと確認できるだけのデータがそろっていなかった。この規制を理解するうえで、ここがいちばん大切な点です。
では、なぜそもそも疑いの目が向けられたのでしょうか。ECHAと欧州委員会のQ&Aによると、PB15:3とPG7が化粧品規則の禁止リスト(附属書II)に入った背景には、ヘアダイとして使ったときの曝露に伴う膀胱がんの懸念がありました[6]。そして制限案の作成過程で、業界はこの発がんの懸念を無視してよいとRACに示すことができませんでした[6]。エントリー75は化粧品の禁止リストにある物質をまとめて対象にする仕組みだったため、この2顔料も網に入ったのです[1,6]。
評価する側の中でも意見は分かれていました
興味深いのは、規制を進めた側の中でも見解が一枚岩ではなかったことです。制限案を出したドシエ提出者側の背景資料は、PB15:3とPG7のタトゥーインク用途のリスクは「適切に管理されている」と記していました[4]。ところがRACは、健康有害性とリスクの全体像を示すデータが限られすぎているとして、2顔料を例外扱いにすることを支持しませんでした[3]。同じECHAの手続きの中で、提案側の記述と最終的な規制意見が同じではなかったのです。
ドイツの連邦リスク評価研究所(BfR)の評価も、似た構図を見せています。BfRは2020年の意見書で、手に入るデータが示すのは両顔料の比較的低い毒性だとしました[5]。PB15:3については、非標準的なマウス試験で発がん性を示す証拠はなく、既存データからは変異原性もないとされたことも記しています[5]。それでも結論は「信頼できる健康リスク評価はできない」でした。皮膚の深い層に注入するという使い方について、判断できるだけのデータがないからです[5]。BfRのQ&Aも、有害性データが不完全でタトゥーインク用途の健康リスク評価は現時点でできないとしています[7]。
適用が1年遅れて2023年1月4日になった理由
エントリー75の多くの物質は2022年1月4日から制限されましたが、PB15:3とPG7だけは適用が2023年1月4日まで1年延ばされました[1]。理由は代替顔料の問題です。RACの評価では、青についてはより有害性の低い顔料が存在する可能性はあるものの、その有害性や技術的な実現性の情報が不足しているとされました[3]。背景資料にも、ほかの青色材には分解生成物によるより高いリスクや、白色顔料と混ぜたときに色が変わる問題があったと記されています[4]。
緑はさらに難しい状況でした。代替の本命とされた臭素系のPG36は、研究が乏しく、塩素系のPG7より安全とはみなせないと判断されたのです[3,5]。移行期間の長さ自体も、委員会の間の駆け引きの結果でした。RACは手元の証拠に基づいて移行期間なしを求め、SEACは3年を提案し、妥協として2年に落ち着いたとECHAのQ&Aは説明しています[6]。この猶予は、インクの配合業者がより安全な代替物を見つけ、市場にインクを供給し続けるための時間だったとされています[6]。
業界からの反対と欧州委員会の答え
適用が始まったあと、この制限を見直してほしいという請願が欧州議会に提出されました。欧州委員会の回答文書によると、反対側の主張は主に3点でした。より安全な代替物が存在しないこと。両顔料は長年使われてきたのに、健康上の合併症の報告がないこと。そして、他の法域ではPB15:3を禁止していないことです[8]。替えのきかない色を失うことへの、現場の切実な声がうかがえます。
これに対する委員会の答えは次の通りです。RACとSEACの評価では、毒性情報が不足していました。協議の間にも、安全性を示す追加の証拠は提出されませんでした。そのため、がんリスクと非がん性有害性を除外できなかった、としています[8]。一方で委員会は、フタロシアニン顔料にレーザーを当てたときの分解や、色素の粒子がリンパ節へ移動する現象についての研究には不確実性があることも認めています[8]。判断の土台となる科学がまだ固まりきっていないことを、規制する側も否定していないのです。
日本でタトゥーを考えている人にとっての意味
この制限はEU域内の市場に適用されるルールです[1]。それでも、タトゥーインクの安全性をどう考えるかという問いは、国境に関係なく私たちにも関わります。今回の経緯が教えてくれるのは、「禁止された=危険と証明された」ではないということです。同時に、「使われ続けている=安全と証明された」でもありません。
だからこそ、施術を受ける側にできることがあります。気になる色があれば、カウンセリングのときに、どのメーカーのどのインクを使うのかを聞いてみてください。開示できるかどうかは、スタジオの方針や仕入れ形態によって異なります。それでも、色の美しさと安全性の両方に目を向けることが、納得のいくタトゥーへの近道です。
よくある質問
- Q. PB15:3とPG7は、EUで発がん性が確認されたのですか?
- いいえ。規則の前文とRACの説明が挙げた根拠は、有害性と健康リスクに関する十分な情報がなく、がんリスクと非がん性有害性を「除外できない」というものでした。ドイツBfRも、手に入るデータが示すのは比較的低い毒性である一方、皮膚の深い層への注入についてはリスク評価ができないとしています。
- Q. EUでは青と緑のタトゥーがすべて禁止されたのですか?
- いいえ。制限の対象になったのはPB15:3とPG7という特定の2つの顔料です。青や緑のすべての顔料、すべての青緑インクを一律に禁じた規則ではありません。
- Q. なぜこの2顔料だけ適用が2023年1月4日まで延びたのですか?
- 業界が短期から中期では適切な代替物に置き換えられないと名指しした物質が、この2つだけだったためです。インクの配合業者がより安全な代替物を見つけ、市場にインクを供給し続ける時間を確保する目的で、1年の猶予が設けられました。
- Q. 日本でタトゥーを入れる場合、この規制は関係ありますか?
- この制限はEU域内の市場に適用されるルールで、日本の施術に直接及ぶものではありません。使われるインクが気になる場合は、カウンセリングのときにどのメーカーのどのインクを使うのかを確認するとよいでしょう。
References
- [1]European Commission. Commission Regulation (EU) 2020/2081 of 14 December 2020 amending Annex XVII to Regulation (EC) No 1907/2006 as regards substances in tattoo inks or permanent make-up. Official Journal of the European Union / European Commission, 2020. https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/PDF/?uri=CELEX:32020R2081
- [2]European Chemicals Agency. Substances in tattoo inks and permanent make up: Registry of restriction intentions until outcome. European Chemicals Agency, 2016-2026. https://echa.europa.eu/registry-of-restriction-intentions/-/dislist/details/0b0236e180dff62a
- [3]Committee for Risk Assessment (RAC) and Committee for Socio-economic Analysis (SEAC). Opinion on an Annex XV dossier proposing restrictions on substances in tattoo inks and permanent make-up. European Chemicals Agency, 2019. https://consultations.hse.gov.uk/crd-reach/restriction-proposals-003/user_uploads/opinion-on-annex-xv.pdf
- [4]European Chemicals Agency, RAC and SEAC. Annex to Background Document to RAC and SEAC Opinions on Substances in Tattoo Inks and Permanent Make-up: Additional information on other blue and green pigments used in tattoo inks. European Chemicals Agency, 2019. https://consultations.hse.gov.uk/crd-reach/restriction-proposals-003/supporting_documents/annextobackgrounddocument.pdf
- [5]German Federal Institute for Risk Assessment (BfR). Tattoo inks: risk assessment for Pigment Blue 15:3 and Pigment Green 7, BfR Opinion No. 039/2020. German Federal Institute for Risk Assessment, 2020. doi:10.17590/20201006-102053
- [6]European Chemicals Agency and European Commission. Webinar: REACH restriction of hazardous substances in tattoo inks and permanent make-up, Questions and Answers. European Chemicals Agency, 2022. https://echa.europa.eu/documents/10162/11835322/2022_03_29_tattoo_ink_restriction_webinar_QA.pdf/5f7d4aab-c6f4-a24d-aa5b-95f8d4048f40
- [7]German Federal Institute for Risk Assessment (BfR). Questions and answers about tattoo inks. German Federal Institute for Risk Assessment, 2024. https://www.bfr.bund.de/en/service/frequently-asked-questions/topic/frequently-asked-questions-about-tattoo-inks/
- [8]European Commission. Petition No 0625/2022 on allowing the use of the pigments Blue 15:3 and Green 7 in tattoo inks and permanent make-up: Commission reply. European Parliament, 2023. https://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2014_2019/plmrep/COMMITTEES/PETI/CM/2023/11-29/1272952EN.pdf
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