
「最古」を決めるのは、どんな証拠か
「世界最古のタトゥー」と聞くと、ひとつの年号が答えとして返ってきそうです。実際には、何を証拠として認めるかで答えが変わります。考古学者のデター=ウルフらは2016年の論文で、古代のタトゥーを直接示す証拠は、自然または人工的に保存された人の皮膚に残る印だけだと述べています[1]。皮膚そのものが残っていなければ、そこに模様があったかを直接確かめることはできません。
一方で、皮膚が残っていない時代や地域にも手がかりはあります。皮膚を刺した道具や、道具に付いた顔料、人物をかたどった像の模様などです。ただし、これらは刺青をした人の体そのものではありません。道具の傷み方や出土した場所から用途を推し量る、間接的な証拠です。たとえるなら、本人の写真ではなく、残された筆記用具から書き手を想像するようなものです。
この記事では、皮膚に残る実物と、道具や像などの間接的な証拠を分けて見ていきます。前半はアイスマンと古代エジプトのミイラ、後半はポリネシアや北米の道具、最後に日本の記録と埴輪を取り上げます。どの年代も、それを報告した論文を添えて紹介します。読み終えるころには、「最古」という言葉がどの証拠を指しているのかを見分けられるようになります。
アイスマン、オーツィの体に残る61の刺青
皮膚に残る刺青として、いま最も古いとされるのが、チロルのアイスマンと呼ばれる「オーツィ」です。2016年の論文は、オーツィの年代を紀元前3370〜3100年と示しました[1]。そのうえで、オーツィは確認されている最古の刺青を持つ人類遺体だと結論づけています[1]。いまから5000年以上前に生きた人の肌に、刺青がはっきり残っていたことになります。
刺青の数も具体的にわかっています。2015年の研究は、複数の波長の光を使う撮影で、体を傷つけずに全身を記録しました[3]。見つかった刺青は61個で、線状の模様や2つの十字形を含む計19組に分けられます[3]。肌の表面では見つけにくくなった刺青も、この撮影技術で確かめられました[3]。オーツィの刺青は動物や人の姿ではなく、線と十字だけでできているのが特徴です。
彫り方についても、新しい見方が出ています。オーツィの刺青は、皮膚を切って顔料を擦り込んだものだとよく語られてきました。2024年の研究は、この説が確定したものではないと指摘しています[4]。研究チームは、電気を使わない複数の彫り方を実際に試しました。そして治った後の痕をオーツィの刺青と比べた結果、先端がひとつの道具で皮膚を刺す方法が最もよく合うと報告しています[4]。

古代エジプトのミイラに残る、最古の具象的な図柄
2018年には、エジプトのゲベレインで出土した自然ミイラ7体を調べた研究が発表されました[2]。研究チームは赤外線で皮膚を撮影し、7体中2体、男性1体と女性1体に刺青を見つけました[2]。年代は、毛髪に含まれる炭素を使う放射性炭素年代測定で調べています。生き物の体に含まれる特定の炭素が、時間とともに一定の割合で減る性質を使う方法です。
刺青のある女性の毛髪は「4497±32 14C BP」と測定されました[2]。これを暦の年代に直した較正年代は、紀元前3351〜3092年です(95.4%の確率の範囲)[2]。論文は、2体の毛髪の較正年代をまとめて紀元前3351〜3017年としています[2]。そのうえで、これらをナイル川流域で最古の現存する刺青として報告しました[2]。オーツィの紀元前3370〜3100年[1]と、ほぼ同じ時代です。
ゲベレインの刺青で目を引くのは、その絵柄です。男性の右腕には、ウシ科の動物と、バーバリヒツジとみられる図像が確認されました[2]。線や十字だけのオーツィとは違い、何かの姿を描いた刺青です。論文はこれを、世界で最古の具象的な刺青と報告しています[2]。皮膚に残る刺青全体で見ればオーツィが最古で、形のある図柄に限ればゲベレインが最古というように、問いの立て方で答えが変わります。
「世界最古」の座が入れ替わってきた理由
最古の例が入れ替わる理由のひとつは、年代の測り直しです。2016年の論文は、チリ北部のチンチョーロ文化のミイラ「Mo-1 T28 C22」の放射性炭素年代を再検討しました[1]。その結果、このミイラの年代を紀元前2563〜1972年と示しています[1]。これとオーツィの紀元前3370〜3100年を比べ、オーツィのほうが少なくとも500年古いと結論づけました[1]。測定結果の見直しひとつで、比べたときの順番が変わることがわかります。
もうひとつの理由は、調べる技術の進歩です。オーツィの61個の刺青は、複数の波長の光を使った撮影で全身が記録されました[3]。この研究は、肌の表面では見つけにくくなった刺青も画像技術で確かめられることを示しています[3]。ゲベレインのミイラでも、刺青は赤外線撮影で見つかりました[2]。見えなかった刺青が見つかれば、刺青の数や分布、そして最古の例も書き換わります。
さらに、何を「最古」と呼ぶかという基準も、答えを左右します。皮膚に残る刺青全体なのか、具象的な図柄に限るのかで、挙がる例は違いました[1,2]。彫り方の推定も、2024年の比較実験で新しい解釈が示されています[4]。「世界最古のタトゥー」は、現時点で確かめられている中で最も古い例を指す言葉です。新しい発見や測り直しがあれば、また更新されることがあります。
皮膚がなくても、道具から刺青を推し量る
皮膚が残っていない地域では、道具が手がかりになります。2020年の研究は、トンガの遺跡から出土した骨製のコーム(くし状の道具)4点を調べました[5]。加速器を使う放射性炭素年代測定(AMS)と、道具の傷み方を見る使用痕分析を組み合わせています[5]。その結果、これらは太平洋地域で最古の多歯式タトゥー器具だと報告されました[5]。多歯式とは、くしのように細い歯が何本も並んだ形のことです。
パプアニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツでは、ラピタと呼ばれる文化の遺跡が調べられています。2018年の研究は、7か所の遺跡から出土した黒曜石の剥片56点を分析しました[6]。黒曜石は、割ると鋭い刃になる火山ガラスです。分析の結果、これらがタトゥーに使われたことを確認したと報告しています[6]。先端は長さ約1〜2mmの小さな突起で、皮膚を刺すために使われたと考えられています[6]。
ここで大切なのは、道具の用途をどう判断したかです。ラピタの研究は、形だけで刺青の道具だと決めず、顕微鏡で見た摩耗の痕と、残った顔料を組み合わせて判断する必要があると示しています[6]。また、トンガのコームが示すのは、柄に対して角度を付けた骨製コームの技術が約2700年前に存在したことです[5]。これは道具の年代で、人の体に残った刺青そのものの年代ではありません[5]。

北米の骨の道具に残っていた、赤と黒の顔料
道具からわかることの例として、北米の研究も紹介します。2021年の研究は、米国テネシー州のファーンベイル遺跡で、「埋葬24」に添えられていた骨製品を調べました[7]。動物の骨の種類、加工の痕、使用の痕、付着した顔料という4つの面から分析しています[7]。埋葬の年代は、淡水に由来する年代のずれなどの不確かさを考え、紀元前3500〜1600年と控えめに推定されています[7]。
分析の結果、この集団は先端を加工したシチメンチョウの骨を刺青の道具として使っていたと報告されました[7]。道具には、赤色と黒色の顔料が直接付着していました[7]。人の皮膚が残っていなくても、道具の形、使用痕、顔料、出土した状況を合わせれば、刺青が行われていたことを強く裏付けられます[7]。複数の手がかりを重ねることで、間接的な証拠でも説得力が高まるわけです。
ただし、道具の年代をそのまま刺青文化の始まりとみなすことはできません。道具は皮膚に残る刺青ではなく、使用痕や顔料、出土位置、実験との比較から用途を判断する間接的な証拠だからです。ファーンベイルの年代も、約1900年という広い幅をもった推定です[7]。道具の研究は「いつ始まったか」よりも、「どこで、どんな道具と色で刺青をしていたか」を教えてくれる資料だと言えます。
日本の刺青の起源は、どこまでたどれるか
日本の古い記録として知られるのが、3世紀に陳寿がまとめた『三国志』の中の魏志倭人伝です。倭人について「男子は大小と無く、皆、黥面文身」と記しています[8]。黥面は顔に、文身は体に模様を施すことを指す言葉です。さらに、水に潜って魚や貝をとる人びとが文身をしていたこと、それがのちに飾りになったことも書かれています[8]。文身のあり方には、地域による違いや身分による違いがあったとも記されています[8]。
ただし、魏志倭人伝は文字の記録です。日本列島の人びとの身体装飾を伝える貴重な史料ですが、出土した人の皮膚に残る刺青ではありません[8]。オーツィやゲベレインのミイラのように、模様そのものを目で確かめられる資料とは性質が違います。古代の記録に書かれた「文身」と、いまのタトゥーを同じものとして重ね合わせず、当時の風俗を伝える記述として読むのが適切です。
古墳時代の人物埴輪にも手がかりがあります。2025年の論文は、埴輪に残る赤い顔料と、顔や体の装飾模様を検討しました[9]。赤い模様には刺青として同定される例がある一方で、必ずしも刺青とは同定できない例もあると述べています[9]。土偶や埴輪の線や色は起源を考える手がかりになりますが、それだけで皮膚に色を入れた刺青だと確定はできません[9]。模様が描かれた背景や、ほかの資料もあわせて慎重に考える必要があります。
古代の刺青から、いま入れる一本へ
ここまで見てきたように、「世界最古のタトゥー」には一つの答えがあるわけではありません。皮膚に残る刺青ならオーツィ(紀元前3370〜3100年)[1]、具象的な図柄ならゲベレインのミイラ(紀元前3351〜3017年)[2]が、それぞれ最古の例として報告されています。道具からは、トンガやラピタ、テネシーの人びとが、骨や黒曜石で皮膚を刺していたことがわかります[5,6,7]。
時代や地域は違っても、古代の人びとは皮膚を刺して色を入れる工夫を重ねてきました。オーツィの線と十字、ゲベレインの動物の姿、北米の赤と黒の顔料[3,2,7]。模様は残っていても、そこに込められた意味まで確かめられるとは限りません。魏志倭人伝に、水中で魚をとる人の文身がのちに飾りになったと記されているように[8]、刺青の役割も時代とともに移り変わってきました。
いまタトゥーを考えている人も、デザインに自分なりの意味を込められます。古代の線や図柄からヒントを得るのも、ひとつの楽しみ方です。どんなモチーフにするか、どの部位に入れるかは、スタジオでアーティストと話しながら決めていけます。デザインや部位について迷っていることがあれば、予約時にお気軽にご相談ください。
よくある質問
- Q. 皮膚に残っている刺青で、いちばん古いものは何ですか?
- 2016年の論文では、アイスマンのオーツィが、確認されている最古の刺青を持つ人類遺体とされています。年代は紀元前3370〜3100年です。体には61個の刺青があり、線状の模様や2つの十字形を含む計19組に分けられます。
- Q. 動物などの絵柄を描いた刺青で、いちばん古いものは何ですか?
- 2018年に報告された、エジプト・ゲベレイン出土の自然ミイラの刺青です。男性の右腕に、ウシ科の動物とバーバリヒツジとみられる図像がありました。2体の毛髪の較正年代は紀元前3351〜3017年で、論文では最古の具象的な刺青と報告されています。
- Q. ポリネシアの骨の道具は、世界最古のタトゥーの証拠ですか?
- 世界最古のタトゥーそのものの証拠ではありません。トンガで出土した骨製コーム4点は、約2700年前の太平洋地域で最古の多歯式タトゥー器具として報告された資料です。道具は皮膚に残る刺青ではなく、使用痕などから用途を判断する間接的な証拠です。
- Q. 日本の刺青の歴史は、いつまでさかのぼれますか?
- 3世紀の魏志倭人伝には、倭人の男子が皆「黥面文身」していたと記されています。古墳時代の人物埴輪にも赤い装飾模様が残っています。ただし埴輪の模様には刺青と同定される例とされない例があり、模様だけで皮膚に色を入れた刺青だと決めることはできません。
References
- [1]Aaron Deter-Wolf, Benoît Robitaille, Lars Krutak, Sébastien Galliot. The World's Oldest Tattoos. Journal of Archaeological Science: Reports, 2016. doi:10.1016/j.jasrep.2015.11.007
- [2]Renée Friedman, Daniel Antoine, Sahra Talamo, Paula J. Reimer, John H. Taylor, Barbara Wills, Marcello A. Mannino. Natural Mummies from Predynastic Egypt Reveal the World's Earliest Figural Tattoos. Journal of Archaeological Science, 2018. doi:10.1016/j.jas.2018.02.002
- [3]Marco Samadelli, Marcello Melis, Matteo Miccoli, Eduard Egarter Vigl, Albert R. Zink. Complete Mapping of the Tattoos of the 5300-Year-Old Tyrolean Iceman. Journal of Cultural Heritage, 2015. doi:10.1016/j.culher.2014.12.005
- [4]Aaron Deter-Wolf, Benoît Robitaille, Danny Riday, Aurélien Burlot, Maya Sialuk Jacobsen. Chalcolithic Tattooing: Historical and Experimental Evaluation of the Tyrolean Iceman's Body Markings. European Journal of Archaeology, 2024. doi:10.1017/eaa.2024.5
- [5]Geoffrey Clark, Michelle C. Langley. Ancient Tattooing in Polynesia. The Journal of Island and Coastal Archaeology, 2020. doi:10.1080/15564894.2018.1561558
- [6]Robin Torrence. Tattooing Tools and the Lapita Cultural Complex. Archaeology in Oceania, 2018. doi:10.1002/arco.5139
- [7]Aaron Deter-Wolf, Tanya M. Peres, Steven Karacic. Ancient Native American Bone Tattooing Tools and Pigments: Evidence from Central Tennessee. Journal of Archaeological Science: Reports, 2021. doi:10.1016/j.jasrep.2021.103002
- [8]陳寿『三国志』魏書東夷伝倭人条、公開版:桜井市纒向学研究センター. 魏志倭人伝全文. 桜井市纒向学研究センター東京フォーラム, 3世紀(公開PDF版2014). https://himiko.or.jp/makimuku/pdf/gisiwajinden.pdf
- [9]Elisabetta Colla. (In)tangible Archaeology of Colours: Permanent Marks on Anthropomorphic Haniwa and Tattooing in Kofun-period Japan. Conservar Património, 2025. doi:10.14568/cp36234
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